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> 一度も欠席しなかった岡本太郎記念館の「理事会」

岡本太郎さんは明治44年2月26日生まれだが、「大正会」の一員で、私の両親と親交があった。
我が家にも何度も遊びにいらしていた。
母が亡くなり母の写真の整理をしていたら太郎さんの写真がたくさん出てきて、改めてその交流の深さを感じました。
私が「岡本太郎記念現代芸術振興財団」設立時、評議委員をお引き受けしたのは、父母の縁からでしたが、遡れば私の祖父母にあたる与謝野鉄幹、与謝野晶子も太郎さんのご両親、岡本一平、岡本かの子さんと親しかったと聞いております。
岡本敏子さんから「役員に」とお声をかけられたときは年長者からのプレッシャー(敏子さんのほうが与謝野さんより年上)を感じつつも(笑)、これは引き受けなければと思いました。最初は「評議員」。それから「理事」に昇格させていただきました。
そして、このたび岡本敏子さんの急逝により5月25日開かれた「役員会」で、理事会の皆様の懇願と(笑)、ご要望により「岡本太郎記念現代芸術振興財団理事長」に就任いたしました。
本来なら、「岡本太郎記念現代芸術振興財団」の理事長は、私のような立場のものではなく、もっと「芸術家的」な方がふさわしいと思いますが、なにぶん急なことでもあり、また現在進行中の「『明日の神話』再生プロジェクト」の最中に総合プロデューサーでもあった岡本敏子さんがお亡くなりになりましたので、この大仕事を敏子さんの構想通り完遂させるには、私のような人間も必要ではと説得され(笑)、お引き受けしました。
岡本敏子さんとは個人的にはお酒を飲んだりしたことはありませんでしたが、私にとって岡本さんは、いつもボーイッシュで凛々しい方だなという印象でした。政治家として多忙な日々を過ごしておりますが、毎回の岡本記念財団の「理事会」は一度も欠席したことがありません。
2005年2月15日、最後に岡本さんにお会いしたのもこの「役員会」でした。
その数日前、金曜日にお会いした新宿「花園まんじゅう」のご主人が、翌日急逝されたというので、こんなこともあるのかと思った矢先だっただけに、本当に驚きました。
岡本太郎記念財団は入場料とグッズの販売だけで維持、運営されている日本でも数少ない優秀な財団です。しかも年々入館者数も増えているという。岡本敏子さんの懸命な努力の賜物であると思います。亡くなられた後まで、こんなに自分と自分の作品を愛してくれた女性がいて、岡本太郎さんは本当に幸せな方だと思います。
私の祖母の与謝野晶子もとてもパワー溢れる女性でしたが、岡本敏子さんもめったにはいないパワーを持った女性だったと思います。
この上は、なんとしても岡本太郎さんの巨大壁画『明日の神話』を設置、鑑賞できる場所を探し、岡本敏子さんに喜んでいただきたいと決意しております。(談)
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