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> 自民党下野時代に読み耽った20冊の量子力学の本

――与謝野さんは、与謝野鉄幹・晶子夫妻のお孫さんにあたります。
祖母・晶子が亡くなったのは、私が四歳の時ですからね。申し訳ありませんが、ほとんど記憶がないんですよ。短歌を熱心に読んだということもありません。というのも、私は中学・高校時代の大半を海外で過ごしたもので、国語力に不安があるんですよ。だから短歌を聞いても、まず人に解説してもらわないと意味がわからない。歌の良し悪しなんて、とうてい判定できませんから。
――子供の頃読んだ本というと……。
小学生の頃は、やっぱり島田啓三の『冒険ダン吉』や、田河水泡の『のらくろ』といった漫画に熱中しましたね。それから麻布中学二年の時に、隣の席が角川君という角川書店の一族の子でした。当時、角川から「昭和文学全集」という、おそらく戦後初の本格的な文学全集が出ていたんです。確か一冊二百五十円ぐらいでした。一ヶ月に一冊配本されるたびに角川君が学校に持ってきてくれて、それを買って読んだのが、きちんとした読書のはじめですね。
――友達だから割引をしてくれたのですか?
割引があったかどうかは覚えていません(笑)。ただその全集には、獅子文六のような当時の流行作家から、志賀直哉あたりまで幅広く収録されていて、まだ子供で意味が分からないなりにたくさん読んだんです。そのまま行けば文学の道を歩むことになったかもしれませんが(笑)、残念ながら中学二年が終わると、外交官だった父の転勤について、エジプトのカイロに行くことになってしまった。
カイロでは英語を使って授業をする外国人向けの学校に通っていました。スタンダールの『赤と黒』を英語に訳したものを読んだり、あるいはフランス語の授業もあって、ラ=フォンテーヌの詩を読まされたりしました。それで高校三年生の時、大学受験のために独りで日本に戻ってきたのですが、四年間のうちに英語が上達したのと引換えに、すっかり日本語ができなくなっていた(笑)。とりわけ困ったのが古文、漢文です。一年留年して勉強をやり直したのですが、それでも付いていけない。『徒然草』や『枕草子』、『源氏物語』の一部などを丸暗記して、受験に備えました。
一浪して何とか大学に入りましたが、入る前は東大にバラ色の夢を抱いていたのに、教養学部の授業は高校レベルでつまらなく、すっかり失望してしまったのです。それでしばらく自主的に「休学」し、寮の部屋に籠もって本ばかり読んでいました。ちょうどマドリッドにいた両親から入学祝いに二百ドル(当時のレートで七万二千円)という大金を貰っていました。そのお金で岩波文庫を二百冊以上買い込んだのです。ベッドの横に堆く積み上げて、その山が減っていくのだけが楽しみ(笑)。もう本を味わうというよりは、意地になって量をこなしていた。そのためか今となっては、何を読んだかすら忘れてしまっているのです。
ただ一冊覚えているのは、有島武郎の『カインの末裔』。他にも内外の代表的な文学書はみんな読んだはずですが、なぜか夏目漱石だけは買わなかった。今もって漱石の本は一冊も読んだことがありません。女房は早稲田の文学部出身で卒論が漱石。それがわかって、ますます読むのをやめようと思った(笑)。とにかく二百冊も読むと飽きてしまって、大学時代の残りは野球部のマネージャーをやって過ごしました。他に読んだ本といえば、法学部だったので法律書ぐらいですね。中でも、団藤重光さんの『刑法綱要総論』(創文社)や碧海純一さんの『法哲学概論』(弘文堂)は熟読玩味しました。今でも論理的な思考を試みようとする時、この二冊は私にとても大きな影響を与えていると感じます。
――大学時代は政治に興味はなかったのですか?
西部邁さんは一学年下だし、亡くなられた香山健一さんなど、近い世代に全学連の指導者たちがいたんですが、私自身は大学の安保運動には一切加わりませんでした。クラスメイトはみなデモに行ってしまって、教室に三人しか残らなかった、なんて経験もあります。今でもそうなんですが、熱狂の中で日本人がすることはほとんど間違っているんじゃないか、っていう思いがあるんです。みんなが夢中になっていると、「ほんとかいな?」という気になってしまいますね。
大学を卒業し、母の知り合いだった中曾根康弘さんの紹介で、日本原子力発電という会社に入りました。技術屋さんの多い会社なので、専門用語で話をされるとさっぱり分からない。悔しいから必死になって原子力関係の本を読んでいたんです。そのうち、英語の専門文献を訳すアルバイトもやるようになりました。二百字詰め原稿用紙一枚で百円、月に五十枚ぐらい訳していましたから、源泉十パーセント引かれても、四千五百円ぐらいになる。初任給一万七千円の時代ですから、結構うれしいお金でしたね。ほとんど飲み代に使ってしまったけれど(笑)、一部でイアン・フレミングの『007』シリーズなど英語のペーパーバックを買って、楽しみに読んでいました。
そういうわけで、その時代、政治関係の本はほとんど読んでいないんですが、たった一冊覚えているのは高坂正堯先生の『海洋国家日本の構想』(現在は都市出版「高坂正堯著作集」に所収)。このあたりからようやく政治への興味が芽生えてきたのかもしれません。中曾根さんの主催していた若手の勉強会に加わるようになり、ついには会社を辞めて中曾根さんの秘書になったのです。事務所には中曾根さんの蔵書が一杯あって、そこから借りて色々な本を読みました。まず私の政治家としての基礎をなしているのは、読売新聞グループ会長をしている渡辺恒雄さんが記者時代に書いた『派閥』(弘文堂、品切れ)という本です。
フランス革命時代に暗躍した政治家ジョセフ・フーシェを描いた、シュテファン・ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ ある政治的人間の肖像』も忘れられない一冊です。世界史の時間に覚えさせられた人名しか印象に残っていなかったフランス革命が、生々しい出来事として描かれているのにまず興奮しました。と、同時にフランスも日本も、人間のやることはあまり変わらないな、という感想も持った。よく日本の政治は根回しばかりで非近代的だ、と言われますが、フーシェがロベスピエールに追い詰められそうになった時は、夕方日が落ちると方々を訪ね歩いて必死に根回しをする。最後には逆にロベスピエールがギロチン台に送られてしまうのです。そういう政治のドラマは、単に道徳的だとか非道徳だということでは片付けられない性質をもっていると思います。
『文化防衛論』など、三島由紀夫さんの一連の著作もたくさん読みましたね。昭和四十五年の五月二十七日に、中曾根さんと若手経営者の勉強会に、三島さんを講師として招いたこともありました。その時、三島さんは「中曾根さんは政治の原則で動いているが、私は精神の原則で動いている」というお話をされました。政治家はある行動をした場合、その結果に責任を負う。しかし精神の原則で動いている場合は、結果の有効性・無効性を問わず、人に精神的な影響を与えた責任として、立ち上がって行動しなければならないのだ、と。「最後は私が腹を切ればいいんです」という台詞もありました。その時は何かの比喩としか聞こえませんでしたが、その半年後には実際のこととなったのです。
私のお袋や親父も、三島さんとは個人的な交友がありました。私も自決には大変な衝撃を受け、三島さんの作品を何度も読み返したり、研究者の書いたものも読みましたが、なぜ三島さんがああいう挙に出たのかは分かりません。おそらく一つの原因ではなく、幾つかのことが複合しているのでしょう。
――昭和五十一年に衆議院議員初当選します。政治家としての座右の書は何でしょうか?
私はさっき言ったような事情で、日本語と、それに日本の歴史にはあまり自信がないのですが、それでも日本がなぜ先の大戦に向かったのか、そのことだけは真剣に考えなければならないと思っています。その意味で大きな影響を受けたのは、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか著、中公文庫)、それに阿川弘之さんの『井上成美』です。井上成美という人物には、日本人の戦争に対する熱狂の渦に巻き込まれず、冷静に物事を考えていた人物がいたんだ、という安心感を覚えますね。戦後、彼は伊豆に引っ込み、近所の子供たちに英語を教えてかろうじて生活していた。軍人恩給が大幅に切り下げられたからです。今、年金問題を議論していても、その井上成美のことが思い出されてなりません。
ところで、話はまったく変るのですが、私は物理学の本を読むのが大好きなんです。
きっかけは、カイロにいた高校時代、英語でジョージ・ガモフの『ワン・ツー・スリー……インフィニティー』(邦訳は『1、2、3……無限大』白揚社)という本を読んで、驚きを覚えたことです。アインシュタインの相対性理論がもつ数学的意味をわかりやすく解説した本ですが、そこから興味を持つようになり、最近のホーキングに至るまで関連の本をずっと読み続けています。
平成五年に自民党は野党に転落しましたが、野党になると何をしても面白くない。ゴルフに行っても、お酒を飲んでも、常に空しさがつきまとう――だから、今回もそういうことにならなきゃいいが、と思っているんですが。その頃、四谷の自分の事務所でひたすら物理学の本に読みふけっていたことがありました。マックス・プランクが創始した量子力学を勉強しようと思って、二十冊ぐらい本を買って全部読んだ。それで国会に行って、理系出身の鳩山由紀夫や新井将敬に、「こういうものを分かるためには、どれぐらい数学を勉強したらいいんだ?」と聞いたら、「まず線形代数学をやらなきゃダメだ。でも、与謝野さんには無理だろうなあ」と笑われた。
実は去年も政調会長になると思っていなくて、どうせ暇でブラブラするだろうからと、数学の本を七〜八冊買って本気で勉強しようと思ってたぐらいなんです。
一番最近読んだ物理関係の本だと、『重力と磁力の発見』(山本義隆著、みすず書房)。こんな素晴らしい本を書く人がいるかと思いましたね。法務委員会の合間にその本を読んでいたら、塩崎恭久さんが「何を読んでいるんですか」と聞くので、「山本義隆という人が書いたんだけど、どういう人か知らないんだ」と行ったら、塩崎さんが、「知らないんですか。全共闘の輝けるスターだった人ですよ」とびっくりしてました。
そういうわけだから、僕のことを理科系出身だと思っている人もいるみたいです。二十年ぐらい前に、岩波書店から「あなたが読んだ岩波新書の中でベストの一冊を挙げてください」と頼まれ、朝永振一郎さんの『物理学とは何だろうか』を推薦したこともありました。「物理学の歴史というのは、人間の思想の歴史である。これは、ギリシャ時代からの人間の思想の歴史を知るための必読書である」という推薦文を書いたら、そのまま帯に使われた(笑)。
――物理学から政治に啓示を受けることが何かありますか?
ええ。十九世紀の物理学は、光の研究の歴史なんです。光は粒子だという説と、いや波だ、という説が鋭く対立していた。しかしその後の量子力学によって両方の性質をもつことが明らかになったんです。同じように政治の世界でも、無理に白だ黒だという二項対立にする必要はなくて、もっと複合的な価値観が成立するのではないかと思いますね。
――ところで与謝野さんは、囲碁アマ七段の腕前など多趣味で知られます。
女房に笑われたことがあるんですが、結婚して公団住宅に住んだ時、数少ない文学書は実家に置いてきたので、家に囲碁の本しかなかった。繰り返し読んでいるのは、『木谷道場入門』シリーズ(河出書房新社)。これは非常に実戦的な本で、勉強になりますね。
囲碁はもともと中国で生まれたものですが、日本では徳川家康が奨励して、江戸時代に一気に広がった。安井家、林家、本因坊家、井上家という四つの囲碁の家元があり、江戸城の天守閣で御前対決を行っていたんです。その打った碁の記録は、お城碁と言って今でも全部残っている。現代でも、プロ棋士がみんなそれを熟読しているんですが、私ももちろん読み込んでいます。とにかく囲碁の本は一杯読みました。私の読書歴の中で一番時間を使ったのは、囲碁の本じゃないかと思うぐらい(笑)。もう一つの趣味であるゴルフの方も、読書量だけはプロ並みです。バイブルにしているのは、杉本英世プロが書いた一連の本と、ゲイリー・プレイヤーの『50歳からのゴルフ』(日本放送出版協会)。
杉本さんの理論は、今の理論とは違うんですが大変面白い。それで、最後のページに「ゴルフをやる時は、百円でもいいから賭けなさい。向上心や、負けたくないという気持ちがあなたのゴルフを向上させる」と書いてある。ゴルフで握るというのは公にはあんまり言えないことなんだけど、私の″教科書≠ノは、そうちゃんと書いてあるんですね(笑)。
私は好奇心が強いもので、さまざまな分野の本に片端から手を出してしまう。短期間であるテーマを集中的に読むやり方です。ある時、医療問題を考えようと思って読んだのが、柳田邦男さんの『ガン回廊の朝』(講談社文庫)。あれは本当にいい本でした。金銭的見返りを求めず、医療に情熱を傾けるお医者さんたちの姿にはうたれます。ちなみにあの本に出てくる市川平三郎さんという方は、いま国立がんセンターの名誉院長をしていて、私の囲碁とゴルフの仲間でもあるんです。この間一緒にゴルフをしたら、「与謝野さん、がんの手術をすることになって、教授が『私が執刀します』と言ったらすぐ断りなさい。教授というのは何にも知らないですから」と言っていましたね。
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