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憲法をめぐる状況

はじめに

憲法とは、中曽根元首相の言葉を借りれば、国家運営の基本法であるが、現在、幾つか綻びが出てきている。私は憲法9条の解釈は限界を超えていると思う。私学助成なども素直に解釈すれば憲法違反の世界であろう。今日は、私が憲法改正するならば何をするかについて話したい。

 新聞社等の世論調査では、憲法を改正した方がよいという意見が既に6割を超えてしまっており、本当に戦後が終わってしまったという印象を受ける。自民党内でも戦争の実体験を持つ方々が全て引退され、民主党はさらに若い世代が多いという状況にある。

 自民党では、党内の憲法調査会で議論が進んでいる。自民党は来年、結党五十周年を迎えるので、そのときに憲法改正草案が発表されるのではないか。

 公明党では、元々青年部や婦人部に現憲法への志向が強かった。しかし、今年(2004年)の正月以降、小泉首相が「憲法問題では民党と組もうか」と発言したことから、憲法問題に取り組む機運が出てきたのではないかと見ている。今では、公明党も憲法9条の問題は避けて通れないと言うまでになっている。

 民主党には色々な考え方の人がいる。以前は「論憲」と言っていたのが、最近では、「創憲」などと言うようになったということは、憲法問題をタブー視しないという意味において、相当前進しているのではないかと思う。

 現在、ほとんど全ての新聞社が憲法問題を正面から取り上げている。近いうちに読売新聞は第3次試案を出すだろう。中曽根元首相が会長を務める世界平和研究所も今秋には憲法草案を出すらしい。当委員会もなるべく早い時期に憲法草案を出すのがよいのではないかと思う。

 ただ憲法を議論しているだけでは物事は進まない。不完全なところが若干あったとしても、草案を出すことによって、考え方の大枠を世の中に伝えていくことが大事である。政界には「起案者7割の権利」と言って、何か物事をやろうとするときに、最初に何かを書いて配ってしまった者は、大体書いたことの7割が実現できるという意味の面白い言葉がある。その意味では、誰が最初に物を言うかが問題である。

 憲法改正の機運を盛り上げることはもちろんとても大事だが、政治勢力を結集しないと憲法改正はできない。政治勢力を結集するときにやってはいけないことが二つある。まず、二院制を廃止するという議論をすると、政治勢力は結集できない。また、首相公選論も話を難しくしてしまうだろう。むしろ、新しい憲法を作るよりも、現憲法のこの部分とこの部分をきちんと直すと言う方が、憲法改正への距離が縮まるのではないか。そこで、各項目について私の考えを述べたい。


天皇制
まず、天皇制は特に変える必要がない。今の象徴天皇制、すなわち国民統合の象徴という立場は、いわゆる「君臨すれども統治せず」ということであり、戦後の混乱の中で作ったにしてはよくできていると思う。自民党内には、天皇が元首であると書いていないことを問題視する議員もいる。しかし、「元首」と書いてあるかどうかは本質的な問題ではなく、元首的な行動をとっているかどうかが一番の問題である。天皇陛下は、国事行為の中で、いわゆる「the head of state」として色々なことをされているので、変える必要はない。

 天皇制の中には、長子相続的な考え方が根底にあるのではないかと思うが、憲法を改正しなくても皇室典範を改正すれば女帝は十分可能だから、その意味でも変える必要はない。


9条
 自然権としての自衛権や国際法など、色々なほかの概念を理解しないと憲法9条が分からないというのは、書き方として間違っていると思う。

 そのような書き方をしているために、法制局がやたらと威張っているという印象を与え、法制局を解体すべきだと主張する者もいる。法制局は、元々法務省に設置されていたが、戦後、GHQが法務省から独立させて内閣法制局にした経緯がある。法制局の改革は、憲法改正と並行してやらなくてはならない課題の一つである。職人の塊のような法制局と「ああでもない、こうでもない」と議論しているうちに政治の意思が通らなくなっている。諸官庁も法制局に色々とつまらないことを言われて、とても苦労しているようである。

 憲法9条の欠点は、自衛隊の存在を明記していないことと、国際協力に関する原則が規定されていないことの二つだと思う。国際社会では、第一次世界大戦後にできた不戦条約以降、戦争を外交の延長線上におくクラウゼヴィッツ流の古い考え方をやめて、国際法の支配を維持するという考え方になった。現憲法9条第1項の「国権の発動たる戦争を放棄する」という規定は、そうした考え方に基づいているので、新憲法でも残した方がよいと思う。

 第2項では自衛隊は守るための実力部隊であるということを明記すべきである。いざというときに命を投げ出す人たちにとって、自分たちの存在がきちんと憲法に規定されていないのは、不本意なことであろう。

 また、第3項では国際協力に関する原則をきちんと規定すべきだと思う。国連軍などの集団安全保障体制がない中では、特に大事なことである。国際協力の対象は「国連」と書く必要はなく、「確立された国際機関」あるいは「日本と友好関係にある複数の国」というような書き方でよい。

 戦後、日本人は、国際法が破られたときには法の支配を守るために力の行使が必要であるということを分かろうとしてこなかった。国内においては、法の支配の実効性を担保するために警察力が必要であり、令状に基づく身柄の拘束などの実力行使を承知しているのだが、国際社会については議論を避けてきたのである。

 日本人には、抽象的思考を苦手とする面があるのではないかと最近思う。目で見えればすぐに物事を理解する能力があるが、頭の中でシミュレーションをしたらい、抽象的に物事を思考する能力がやや欠けているのではないかと自ら反省しているところである。


私学助成の制限、宗教と教育
 私学助成の制限は改正すべきだと思う。現実には、私学振興財団を通じて国による助成が行われているので、私学に対して一定限度の研究開発や経常経費の助成をできる路を開いておく必要があると思う。

 憲法20条には、「宗教団体は政治上の権力を行使してはならない」と書かれている。他の条文ではみな「政治権力」だが、ここだけは「政治上の権力」と書かれている。そこで、英語の原文を読んでみるとはっきりしていて、宗教団体は「polotical authority」を行使してはならないと書かれている。「political power」ではない。要するに、戦前のように宗教上の権威を政治に使ってはならないという主旨ででできた条文であろう。したがって、もう少し宗教的教育について国は考える必要がある。「宗教」ではなくて「宗教的情操」は、子供の教育にとってやはり必要である。


緊急事態規定
 次に、現憲法に書かれていないことを幾つか述べる。一つは緊急事態に関する規定である。有事立法の法律ができたが、国会での議論はまことに滑稽というか馬鹿げていた。あの法律は要するに、自衛隊が国を守る時に一々判子を貰いながら進軍しなさいという法律である。しかし、緊急事態というのは判子を貰わずに対応しなくてはならない状況である。例えば、大災害が起きたとき、一部で武装蜂起が起きたとき、あるいはゲリラが上陸したときには、時間と競争しながら、総理大臣が命令してできることをしなくてはならない。阪神淡路大震災のときには、地方の首長が自衛隊の出動を要請するのが遅れたために、被災者が増えてしまった面があるだろう。したがって、一定の憲法上に規定された緊急事態においては、総理大臣が指揮権を持つということをきちんと憲法に明記しておくべきである。事後的に国会に対して責任を負うのは当然である。


憲法裁判所
 現憲法は、特別裁判所を設置せず、最高裁判所に憲法立法審査権があると規定している。しかし、政治に携わる者からみると、違憲立法審査権は非常に時間がかかる。違憲立法審査権、内閣法制局、憲法裁判所の問題は併せて考えていく必要があると思う。憲法解釈は条文だけの文理解釈だけではなく、時代に適合するような憲法解釈をある程度やっていくと自ずと憲法は変わっていくという「憲法変遷論」もある。一定の条文があるにしろ、憲法と社会全体、国民全体を考え、時代適合性を考える憲法裁判所のような場所がどうしても必要ではないか。


憲法改正規定

 国会議員の三分の二以上が発議して国民の過半数が賛成すれば改正されるという現憲法の改正規定は無茶だと私は思う。逆に、国会議員の過半数が発議して国民の三分の二以上が賛成すれば改正されるのであれば、まだわかる。もう少し国民の側に比重を置いた改正規定であればよいが、国会議員という非常に党派性の高いところに発議権を持たせるのは、本当は良くないのでないか。


新しい権利
 新しい権利を憲法に書くということも議論になる。その典型が環境権である。法律上成立していない権利を憲法に書くことは正しいことなのかどうかをよく研究してもらいたい。憲法前文などで地球環境を大切にしようなどと書くのはよいとしても、法的な権利としての環境権を書くことは、非常に難しいと思う。


おわりに
国会の憲法調査会もそろそろ結論を出さなくてはならない時期にきている。
私は、基本的人権の部分、特にデュープロセスの部分については、現憲法を非常に高く評価しており、改正する必要がないと思う。ただし、自民党内には、やはり国民の義務をもう少し広く書かないと、国民の国家依存症が治らないのではないかという人もいる。
 明治憲法ができた直後に教育刺語が出されたように、日本国憲法もすぐ後に教育基本法ができた。憲法改正と教育基本法改正には密接な関係がある。愛国心の問題、要するに自分が所属する運命共同体と自分との関係をどう規定するかという問題、それから宗教と国、宗教と教育の問題については、政治勢力との関係で非常に微妙な問題を孕んでいる。

社団法人 日本経済調査協議会
第17回葛西委員会議事抄録

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