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  トップページ > 記事・論文・講演 > 憲法改正で政界は大きく動く 再編までいっていいのではないか
憲法改正で政界は大きく動く。再編までいっていいのではないか
自民党は立党50周年へ向けて、めざすべき国家像や針路を示す「自民党宣言」を策定している。その「基本理念委員会」の委員長に就任した与謝野馨議員に、21世紀の日本がめざすべき方向や課題について聞いた。
派閥は中選挙区時代の産物
離脱しても政治活動に影響はない


-与謝野さんは、昨年十一月の総選挙前に亀井静香グループと旧中曽根派が合併してできた江藤・亀井派(現亀井派)を離脱しましたが、どのような経緯だったのですか。

与謝野
わたしは、若い頃、中曽根(康弘元首相)さんの秘書をつとめたこともあり、中曽根さんに育てられた人間です。中曽根派が渡辺(美智雄)派に代替わりしても、それまでの人間的なつながりのなかで自然に派閥にいたわけです。しかし、前回の総選挙(平成十二年六月)で落選した後、静かにモノを考えていたときに、派閥というものは、人間的なつながりのなかにあって、なおかつ大きな方向性でも政策が一致している必要があるのではないかと思うようになりました。

 そうなると、どうも江藤・亀井派の政策は、都市部の人たちの共鳴は受けられないと感じるようになりました。


-亀井(静香)さんの「積極的な財政出動で景気を回復させる」という主張は、地方の論理だと指摘されています。与謝野さんの選挙区は、千代田区、港区、新宿区からなる東京一区ですから、都会中の都会ですよね。

与謝野
そう思っていたところに、政界の友人から「選挙を戦うのなら、無派閥のほうがいいよ」とアドバイスされた。でも、そんなことを単独で決めてはいけない。

 一昨年の暮れ、中曽根さん、松永(元・元蔵相)さん、島村(宜伸・元農水相)さんの四人で食事会を開きました。中曽根さんが毎年年末に夕食をご馳走してくれる恒例の食事会なんですが、その席で「じつは、派閥離脱という考え方も少し出てきているんです」と明かしました。そうしたところ、松永さんも「わたしも、もう歳んだけど、女房と娘に「次も選挙(埼玉十五区)に出る」といったら「お父さんの選挙を手伝うためのたった一つの条件は、江藤・亀井派を辞めることよ」といわれているんだ」という話をしておられた。


-その席で与謝野さんは、江藤・亀井派の離脱を決めたのですか。

与謝野
いや、それから半年ほど考えて決めました。中曽根さんの事務所を訪ねて「去年の暮れにお話しましたが、派閥に属さないで選挙をやろうと思います」と申し上げたところ、中曽根さんは「それは、きみの選択だからいいだろう。きみは、俺の直径として政治活動をやっていけ」という話でした。中曽根さんには礼を尽くし、お許しをいただいて無派閥で戦うことになったわけです。


-無派閥で不便は感じませんか。

与謝野
わたしは、国会にたくさんの友人もいますし、派閥を抜けたからといって、自分の政治活動、あるいは国会活動に影響があるかといえば、まったくないですね。


-派閥の存在価値が変わってきているということでしょうか。

与謝野
自由民主党(自民党)は、昭和三十一年十一月に自由党と日本民主党が合併して誕生した。ただし、日本民主党は、その前に国民共同党とか改進党などいろいろな流れがあって合体した政党です。ですから、三木(武夫)派は、国民協同党、池田(勇人)派や佐藤(栄作)派は、自由党の流れを汲む派閥でした。語り合って派閥をつくったということではなく、自然発生的にできたものです。

 かつての派閥は、経済思想、外交・安全保障政策に対する考え方、対ソ連に対する政策は、少しだけニュアンスが違っていただろうと思います。しかし、いまの派閥は中選挙区制の時代の産物で自然に集まったものではない。



派閥の意義は政策活動だが今残っているのはコミュニケーション


-中選挙区制から小選挙区制となり、派閥自体の存在感も薄らいでいますね。

与謝野
中選挙区制は、複数の候補が当選する制度なので、党が一人の候補を応援すると別の公認候補も応援しないといけない。ですから、旧東京一区では時の総裁が中曽根派のわたしの応援に来るときは、同じ日に福田派の大塚雄司さんの応援もするというやり方でした。それでは大変なので、選挙の応援は派閥に任せたというのが現状です。しかし、小選挙区となり、公認候補が一人となったので党が応援しやすくなった。もう一つは、政治資金規正法の改正で、個人の政治資金も集まりにくくなりましたが派閥も資金を集めるのが非常に難しくなった。


-派閥の存在意義は、もはや人事だけといわれますが、小泉(潤一郎)さんが総裁になってからは、その人事すら奪われてしまった。党三段も、閣僚も、大きな人事はすべて総理・総裁が決めている。


与謝野
派閥の意義があるとすれば政策活動ですが、あまり各派とも制作活動をやっているとは思えません。ただし、一つだけ残っているとすればコミュニケーションです。人間は、絶えずコミュニケーションをしていないと生きていけない動物です。一週間に一回くらいはみんなで集まり、「この問題についてどう考えているのか」と、おたがいに意見交換をしたり、議論する場としては必要性があると思います。



安倍幹事長から頼まれた党の基本理念づくり


-いっぽう、自民党は、昨年の十二月十八日、二〇〇五年の結党五十周年に向け、安倍晋三幹事長の諮問機関「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」を設立し、今夏の参院選前の五月までに中間報告として目指すべき国家像と党の針路を示した「自民党宣言」を策定する方針を決定した。与謝野さんは、この「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」の委員長に就任されたわけですが、どのような経緯だったのですか。

与謝野
国政にカムバックしたばかりなので法務委員会などに所属し、現場で汗を流す仕事をしようと思っていたところ、安倍さんから「結党五十周年に向けて党の新しい基本理念を作りたいので、その委員長になってほしい」と頼まれました。

 安倍さんには、新しい世紀に入ったし、世界的にイデオロギーの対立があった時代と、そういうものがなくなった時代の政治は、おのずと違うという考えがあるのだと思います。自民党の支持層のウイングも広げなければいけないし、国の背骨もきちんとしたものにしなければいけないという思いもあるのでしょう。


-与謝野さんと安倍さんは、JR東海の葛西敬之社長など経済人との勉強会を開いているそうですね。

与謝野
わたしは、どういうわけだか法務省関係の仕事を、ずっとやっていて永田町でただ一人の”法務族議員”ともいわれているのですが、平成十一年八月に通信傍受法案を通したとき、安部さんが法務委員会担当の国対副委員長として、一所懸命に応援してくれた。

 そのときに、安倍さんというのは、こういう問題も一所懸命にやってくれる人なんだという思いがあったわけです。ただ、おの法案以外で個人的な接触はまったくなかった。

 それからしばらくしてJR東海の葛西さんが「若い政治家の話も聞きたい」というので、二人であれこれ相談した結果、安倍さんはどうだろうということになり「四季の会」という勉強会を立ち上げました。


-どのようなメンバーですか。

与謝野

二十数人のメンバーのうち、政治家は、わたしと安倍さんの二人だけで、あとはみなさん財界の方です。第一回目の勉強会のとき、わたしは「安倍さんは現職ですが、わたしは浪人中です。この会には出席はするけども、安倍さんを中心にいろいろな話を聞いてください。わたしは、当面、自分の選挙を一所懸命にやってますから」と、あいさつしたことを覚えています。


-安倍さんは、当選わずか三回で、なおかつ四十九歳という若さで幹事長に就任したわけですが、どのように見ていますか。

与謝野
「力量不足だ」とか揶揄するひとはいますが、人が地位をつくるのではなく、地位が人をつくるわけです。安倍さんも、幹事長職を続けていけば、どんどん実力がついていくと思います。



日本が世界に存在し一定水準の生活が「持続する社会」のために


-話はもどりますが「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」はどのように進めていくのですか。

与謝野
事務局長の小野(晋也・衆議院議員)さんにも言ったのですが、われわれの仕事は、基本的な案をまとめて「このような案でどうでしょうか」と安倍さんに提示することです。党内には、国家基本戦略会議など、いろいろな機関がありますから、そこでの調整や最終的な基本理念をどうするかは、幹事長である安倍さんのもとで取りまとめてもらったほうがいい。

 なぜかといえば、これまでいろいろな機関がいい案を出してきましたが、ついに党是をつくりたいと思っているわけだから、安倍さんに案を届けて、それを料理してもらったほうがいい。


-どの点をポイントにまとめようと考えていますか。

与謝野
われわれは、日本が世界のなかでこれからも存在し、ある一定水準の生活が守られるという持続する社会をつくらないといけない。持続する社会とは、細かくいえば環境問題などいろいろありますが、タマネギの皮を剥いていくと、やはり最後に残るのは日本人自身の問題なんですね。

 一昨日、遠山(敦子・全文部科学相)さんが「わたし、本を書いたので読んでちょうだい」と訪ねてこられたので、いろいろと話をしたのですが、戦後五十数年の文部省の教育政策をずいぶん反省していましたね。


-どのように。

与謝野
遠山さんは「戦後、文部省は、日教組(日本教職員組合)との戦いに大半のエネルギーを費やした。高度経済成長期は、日本の企業社会が、どういう人間を必要としているかということを中心にモノを考えた。バブル経済のときは、世界から「日本は世界でナンバー1」とおだてられ、日本人も驕り高ぶり、国という存在がなくても、自分たちだけでやれると思うようになってしまった。日本人のそれまで持っていた重要な価値観が破壊された。経済のバブルの後始末は、お金で解決するからいいけども、そこで失われた人の価値観は致命的だ」といってました。

 経済学者の佐和(隆光)さんも、いまから二年以上も前に、経済雑誌に同じようなことを書いています。


-持続する社会をつくるためには、どのようなことが必要です。

与謝野
憲法改正とか教育基本法の問題も非常に重要です。それから、福祉や年金を持続できる制度にしなければいけない。世界の国々から「日本は、事にあたってはきちんと物事をやる国だ」という一定の評価を受ける行動も取らないといけない。

 それも、持続する社会のためには必要なんですよ。そういった諸々のことは短い文章でまとめたいと思います。



国権の発動としての戦争は放棄していいが自衛権は明記すべきだ

-与謝野さんは、憲法九条についてどのような手直しが必要だと考えていますか。

与謝野

わたしは学生時代にはじめて憲法九条を読んだとき、自衛隊は違憲だと思いました。
 しかし、国際法の理論とか、国は捨てることのできない自衛権を持っているとか、難しい議論がいっぱいあり、ようやく九条が解釈できる。そんな法律の条文は、駄目なんですよ。国民が条文を読んで、その意味を同じように解釈できないのはおかしい。


-同じ条文を読んでいるのに、「自衛隊は違憲だ」「いや、合憲だ」という議論が起こるわけですからね。


与謝野
そこで、どのように直すかということですが、戦史家のクラウゼビッツが十九世紀の終わりに書いた「戦争論」には「戦争は外交の延長戦上にある」と記している。つまり、戦争とは、外交目的を達成するため、国家意思を貫くための一つの手段だと定義されています。

 これは別の言葉でいえば「国権の発動として」ということです。この考え方は、捨ててもいい。武力で人を威嚇して物事を成すという古典的な手段を放棄しても、国益に反することは何もない。ですから、第一項は、国権の発動としての戦争は放棄してもいいと思う。

 ただし、自衛権を持っているということは、明確に書く必要があるし、国が国としての生存権を自ら行使するというのは当然のことだと思います。

 第二項は、自衛隊は、日本の自衛権を具体的に担保するものとして明快に規定する必要がある。

 第三項は、国際社会のなかで武力が必要になる場合もあるし、あるいは日本人が組織的に行動して国際社会のためにやらなければいけないことがある。そのときの国際貢献のあり方をきちんと書いておく必要がある。

 たとえば、確立された国際機関、いまでいうと国連(国際連合)がなにか行動しようというときは、国連が決めたということで参加する。



法の支配という言葉の裏には必ず力の行使がある


−自衛隊が参加していいわけですね。

与謝野
ええ。二十世紀に、世界の平和は国際法で守ろうという重要な思想が生まれました。要するに国際法の支配です。国内では法の支配がきちんとあり、泥棒をしたものは捕まえて罰するという力の行使ができる。じつは、法の支配という言葉の裏には、かならず力の行使というものがある。法の支配と力の行使は裏腹なんです。無原則の力の行使ではなく、法の支配を守るための力の行使がついてないと法の支配ができない。


−日本人は、戦後、法の支配は大事にしましたが、法の支配を守るために力が必要だということをイメージしてこなかった。

与謝野
しかし、誰が見ても国際法違反だということを元の状態に戻すためには、力の行使が必要なんです。たとえば、平成二年九月にイラクがクウェートに侵略した。これは明らかに国際法違反です。「話し合いで解決を」といったところで、言うことをきかなかったらおしまいです。

 その当時、首相だった海部(俊樹)さんは、「中近東は、日本の重要な石油供給の基地だ。この問題を一所懸命やらないといけない。」と発言した。わたしは毎日新聞のインタビューで「あの考え方は間違っている。明らかに他国の領土を取ってしまったという国際法違反を放置しておいていいかどうかという国際法の支配の問題として捉えないといけない」と痛烈に批判した。その後、海部さんと会ったとき、「きみの毎日新聞の記事を読んだよ」といって笑っていましたけどね。

 いずれにしても、憲法九条の第三項には、国際協力のあり方、それから、国際法の支配をきちんと有効なものにするための仕組みを書く必要があると思っています。


−集団的自衛権の行使については、どのように考えていますか。

与謝野
たとえば「おれが喧嘩でやられているときには助けにこい」と言いながら「おまえがやられているときに、おれは助けにはいかない」というわがままな約束は常識としてありえない。


−しかし、その理論を曖昧にしたままずっと持続してきたわけですね。

与謝野
アメリカ国内でも、日本に参加してもらおうと本当に思ったことはないし、また日本が参加したら話がややこしくなるから、と考えているアメリカ人も多かったと思いますよ。


−今後は、明確にしないといけない。

与謝野
明確にする必要はありますが、できるということだけをはっきりしておけばいいだけの話です。



自民党内には戦争体験をめぐって三つの世代があったが・・・

−党内は、憲法改正について、どのような雰囲気ですか。

与謝野
自民党は、ついこの間まで三つの世代に分かれていたと思います。

 まず実際に戦争をたいけんしたグループ、たとえば、中曽根康弘さん、後藤田正晴さん、宮沢喜一さん、野中広務さん、竹下登さん、梶山静六さんたちの世代ですね。梶山さんはよく「与謝野、戦争の悲惨さというのをおまえは知らないだろう」と言っていました。

 それから、次のグループは、戦争体験こそないが、小学校のときにひもじい思いをしたとか、米の飯を腹一杯食べられたら幸せだとか、アメリカ軍が日本を占領していた時代を知る世代、安保の世代というか、学生運動の世代ですね。

 その次のグループは、まったく戦争をしらない世代。われわれの子供のころは、バナナやアイスクリームは、大贅沢品だったでしょう。しかし、そういった飢餓感のまったくない新しい世代ですね。


−いま、国会は、安倍幹事長をはじめ、その新しい世代が多いですよね。

与謝野
ですから、マスコミが実施するアンケート調査では、多くの議員が憲法改正に賛成なんです。読売新聞も、五月頃に憲法草案を出すのではないかという噂もあるし、秋には中曽根さんが憲法草案を書く。自民党の憲法草案は来年出すと言っていますが、早く出したほうがいい。いろいろな案が机上に載ってはじめてきちんとした議論がおこなわれるわけだから。


−自民党だけでなく、民主党も、公明党も反応しますよね。


与謝野
わたしは、憲法改正を中心にして大きく政界は動くと思うし、政界再編までいってもいいと思いますよ。


−民主党は、自民党の「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」のプロジェクトをふくめて、民主党に揺さぶりをかけているのではないかと見ているようです。

与謝野
民主党の執行部は、警戒していると思いますよ。


−「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」では、憲法をこのように改正にすべきだと踏み込むのですか。

与謝野
じつは、そこがいま悩ましいところなんです。しかし、長い文章を書くと、誰も読まないし、二、三ページのもので五分で読めるようにしようと思っています。また、そこまでは踏み込むと憲法調査会も怒るでしょうから。



亀井静香さんのイラク派遣採決欠席は代償が大きい


−ところで亀井さんは、一月三十一日未明、参議院本会議で行われたイラクへの自衛隊派遣の承認案件の採決を欠席しましたが、どう思われますか。

与謝野
政治家個人としての行動は自由だと思いますが、政党というものは、みんなで決めたことは一致して行動しなければ成り立たない。党が決めたことに公然と反旗を翻すというのは、党の組織を運営していくうえではありえない話です。日米関係、安全保障、国際貢献のあり方、イラク戦争を開始した当初の戦争の大儀など、いろいろ考えることがあっての判断でしょうが、それならばもっと早い段階で政治行動を起こすべきでしょうね。

 あれでは、党内外の理解も得られないし、派内でもなかなか理解を得ることは難しい。細かいことなら目をつぶってもいいですが、国連を決するようなときは、信念を貫くことはいいですが、その代償も大きい。


−ここのところ、亀井派の結束に翳りが出てきていると報じられています。幹部であった武藤嘉文・元総務庁長官の離脱に続き、旧中曽根派系議員のグループ化の動きが出ています。三月三日の夜に行われた与謝野さんの当選を祝う会に旧中曽根派系議員が集まりましたが、旧亀井グループの議員には声がかからなかったということで、いろいろと推測を呼んでいますね。

与謝野
これは、本当に純粋に、わたしの当選を祝ってくれる会だったんですよ。それを亀井・島村(宜伸)ラインが誤解したのだと思います。わたしは、まったく政治的な動きをするつもりはない。

 先日、武藤さん、平沼(赳夫)さん、伊吹(文明)さんと蕎麦を食べながら話をしたのですが、われわれ三人は武藤さんが作った勉強会には、当面参加しないし、取り合えず七月の参院選を一所懸命やろうよ、と確認しあいました。


−平沼さんは、三月十八日に開かれた亀井派役員会で、江藤隆美名誉会長から「ほかの派閥の議員との連携は控えるべきだ」と苦言を呈され、「政治家が勉強会をやってどこが悪い」と反論したそうですね。

与謝野
そのようですね。


−亀井派も、微妙な問題を抱えている。

与謝野
亀井さんがイラクへの自衛隊派遣の承認案件の採決を欠席したので、亀井派の若手議員は困っていると思いますよ。総裁候補に担げといったって、その一点で担げなくなってしまいますから。


−小泉さんは、与謝野さんの選挙の応援に行ったとき、「もし与謝野さんが前回の選挙で当選していれば、自分は総理になっていなかっただろう」と発言している。ポスト小泉の有力候補の一人として自覚されることはありますか。

与謝野
自分が総裁候補だとは、まったく知らなかったんです。ですから、落選後、みなさんからそういわれて「おれ、総裁候補だったのか。それだったら、もうちょっと早くいってくれよ」と思ったくらいです(笑)

 いまのところは、いい仕事をしたいとは思いますが、政治的に動いて地位を得たいとか、総理・総裁になりたいとか、そういう意識は身体のなかから湧き上がってはきていません。


政財界 2004年5月号

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