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トップページ > 記事・論文・講演 > こころの玉手箱


こころの玉手箱 東大球場の青春

若いころなにをしていたのか。問われると頭に広がる風景がある。東京・本郷の野球場でふと見上げると広がっていた青空だ。

東大に入学して二年目。友達に誘われてマネジャーとして野球部に入部した。部員寮のおばさんのストライキ処理から六大学リーグの運営折衝まで。練習時にはノック役もやれば、審判にもなる。マネジャーというと裏方稼業のようだが自分では経営者になったような感覚に近かった。

一年で二十試合。そのころの野球部は後にプロ入りした部員もいたりして歴史的には強かった。といっても三勝か四勝止まり。よく負けた。負けて帰ってくるとまた練習。なぜだろう。負けても、「今度は勝てるはず」としか思わなかった。覚えているのは、ノックをしながら、ふと見上げるとすくむように広がっていた青空だ。負けても広がっている青空……。

東大野球部では青空が似合う友人がいた。日本長期信用銀行の元副頭取の上原隆君だ。聖人のように、優しく伏し目がちで誰の悪口もいわない。皮肉や嘲笑にもほほ笑み返し。澄んだ性格にほれ、卒業後も付き合いが続いた。

それから四十年近くたった一九九九年五月。秘書が苦しそうに一枚のメモを差し出した。「上原さんが亡くなられました」。長銀破綻を苦に自ら命を絶った。「えっ」。急ぎ上原氏の自宅に向かうと奥さんが私宛の遺書を預かっているという。「自分の人生は思っていたのとは全く違う展開になってしまいました。皆によろしく」

宅を辞すときなぜか東大の野球場のあの青空が脳裏をよぎった。負けても青空。上原よ。苦しかったか。でも青空は広がっていた。今も広がっているぞ。

最近、新聞で元長銀マンの活躍を見かける。長銀ばかりではない。失われた十五年を経て日本は、敗者復活が根付いてきたようだ。時代の要請だろう。よみがえる敗者たちの物語を聞くにつけ、時代の変わり目に旅立っていった上原氏と見上げた東大野球場の青空を思い出す。

【日経新聞 2006年4月19日夕刊】


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