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趣味は料理とカメラ、
囲碁はネット上で国際対局



茂木 友三郎

与謝野 馨

政治家として過密な毎日を送られている与謝野馨さんだが、
その忙しさの中で、多彩な趣味を楽しみ、極めるという類い希なる才能の一端をご披露くださった。
また、茂木さんとともに国際派としての観点から二十一世紀への日本の展望を熱く語り合っていただいた。


山口(小誌代表)
 
きょうはお忙しいところありがとうございます。お二人はいつごろからのお知り合いなんですか?
 
与謝野 たしか最初にお目にかかったのは、羽田孜さんとか加藤紘一さんたちと・・・・。
 
茂木 そうでしたね。
 
与謝野 もう20年になりますね。
 
茂木 霞ヶ関カンツリー倶楽部で与謝野さんと私が幹事の霞平成会という会があるんです。
 
与謝野 みんな茂木さんにやっていただいていまして。
 
茂木 私は下手だけれど、与謝野さんはハンディキャップ10ですからね。
 
与謝野 いや〜ぁ、政界ではあんまり自慢しちゃいけないことになってるんです。「おれはうまい」という人がいっぱいいるから(笑)。
 
茂木 とにかく乾杯しましょう(乾杯)。
 
与謝野 ありがとうございます。
 
茂木 ところで与謝野さんは、与謝野鉄幹さん、晶子さんのお孫さんでいらっしゃるわけですが、おじいさまは、あなたがお生まれのときにはもうおられなかったわけね。
 
与謝野 はい、祖父は昭和9年に亡くなっています。祖母とは昭和17年に亡くなるまで一緒に住んでいました。
 
茂木 何か覚えていることは、おありですか?
 
与謝野 葬式のことはよく覚えています。
 
茂木 たいへんな女傑でいらしたのでしょう。
 
与謝野 女傑なんだけど頭のいい・・・・。
 
茂木 そう、すごく頭のいい方だったと。
 
与謝野 なぜ、そういうふうに今思っているかといいますと、祖父の場合、祖母の実家だった堺の老舗の和菓子屋の堅い一家からみれば、まぁ不良少年の成れの果てみたいなところがあるわけです(笑)。当時、文学者とか歌詠みというのはろくに稼ぎもないし、鉄幹には妻子もいた。祖母の実家の苗字は「鳳」(ほう)といいまして、晶子の本名は「鳳志よう」です。「君死に給ふことなかれ」というのは、日露戦争で二百三高地に自分の弟が出征したときに詠った歌なのです。そして、鉄幹と結婚するときに、晶子の兄で鳳秀太郎という人がいまして、彼が猛反対した。ものすごく秀才で、東大の電気工学科を創設した人です。たとえば、安川大五郎さんとか、電気工学をやっていた方々がみんな弟子なんですよ。鳳さんの家というのは、本当に秀才の家なんです。ところが、二人は駆け落ちしちゃったわけだから、晶子は勘当になって、それで鳳家と与謝野家というのは今も付き合いが一切ないんですよ。
 
茂木 そう、駆け落ちでしたか。
 
与謝野 鉄幹には、滝野という奥さんがおりましてね。このあいだ新橋演舞場で、三田佳子さんが主演で「みだれ髪」というのをやっていたんですが、第一幕は、鉄幹がほうぼうの女性といい仲になるというシーンばっかり。女房と行くはずだったんですが、その日風邪をひいて、私は姉と行ったんです。女房を連れて行ったら後でいろいろ言われただろうと思いますよ(笑)。
 
茂木 いま鳳家というのは?
 
与謝野 全然わからないんですよ。われわれはお付き合いないので。
 
茂木 駆け落ちなどとんでもないと。
 
与謝野 面白いのは、ふたりが駆け落ちした先が、ものの本を読むと、北多摩郡渋谷村字大和田と書いてあるんです。だから渋谷のいまの繁華街の大田和町ですよ。僕らがよく若いころ飲みに行ったでしょう。
 
茂木 その当時は、まだ鄙びていたという、今ならすぐ見つかってしまうけれども。
 
与謝野 北多摩郡ですよ。
 
茂木 何かおじいさま、おばあさまに影響されたという点はおありですか。
 
与謝野 いや、かえって与謝野馨というのは、なかなか認めてもらえなくて、今でも与謝野鉄幹・晶子の孫だろうというのが、最初冠でくるから、少々、辛い意味もあるんですよ。
 

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