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ガン闘病と「温かい改革」宣言

政権の浮沈をかけた内閣改造。最大の焦点は与謝野馨新内閣官房長官が「少年官邸団」によって機能不全に陥った安倍官邸を立て直せるか、である。政界随一の政策通だが、現在六十九歳。病み上がりの身体で激務に耐えられるのか。

‐‐安倍晋三首相からはどんな形で官房長官への就任要請があったのですか。

「私もこのごろ趣味が高尚になってね。この間、中曽根(康弘元首相)さんにも言ったんですよ。『最近、先生の真似して油絵を描いているんですよ』って。そしたら『本当か、お前』なんて驚かれましたけどね。病気療養から退院後に油絵を描き始めたんだけど、何枚描いても幼稚園児が描くような絵になっちゃう。

内閣改造当日の八月二十七日も、東京・四谷の個人事務所で『きょうは一日長くなるな』と思ったから、例によってキャンバスに向かっていたんですよ。そうしたら、いきなり、昼の十二時過ぎに安倍首相から電話がかかってきて『官房長官を頼みますね』って。それだけですよ。

で、電話が切れちゃって、一分位したらまたかかってきて、首相が『まだ発表しないでくださいね』って言うから、『分かりました』と。本当にそれだけでした。何が政権の重要課題だとか、そういう話は一切、ありませんでしたね」

‐‐就任要請された瞬間は「やった」という嬉しい手ごたえですか、どれとも「これは厳しい仕事だな」と?

「官房長官って言われても、何か血沸き肉躍るとかそういう感じじゃないんですよ。実はガンを告知された時も意外に淡々と医師の説明を受け入れていたんだけども、同じような感じかもしれない。『そうですか、はい』っていう感じで。

ただね、その後で『待てよ、結構、これは大変な仕事を引き受けてしまったんじゃないかなあ』と思いました。それと長らく無役でいて朝から晩まで遊んでいた日々が終わっちゃうんだなあと、そんなことが頭に浮かびましたね」

‐‐安倍政権が非常に追い込まれた政治状況での緊急登板になりました。

「改造内閣が直面している第一の問題に政治姿勢の問題があります。前内閣の閣僚達がボロボロとあまりに稚拙な問題発言を繰り返したため、国民から見ても『頼りないな』と信頼を損ねるところがあったと思うんです。そこから、一歩も二歩も脱却して、一人一人がきちんとけじめのついた、閣僚として本来あるべき姿を示さなければいけない。
第二に政策の問題。これは参院選を通じて示された『地方経済をどうしてくれるのか』という問題が喫緊の課題です。
成長率が高いとか失業率が下がったとかいうけれど、それは大都市部だけであって、地方には及んでいないじゃないかという悲鳴のような声が選挙戦では 地方から聞かれた。公共事業や農業予算でバラマキをやる時代ではないと思うけれども、各地域の将来を考えた地方に対する政策を新たに編み出し、実行していかなければならないと考えています。そういう意味では、岩手県の知事を務め、地方財政も公共事業も分かる増田寛也さんが総務相になられ、地方分権改革も担当されることは、大変意義深いことだと思います。こうした民間から入った有為の人材が経験と知識、実行力をフルに発揮できるように我々はバックアップしなければいけない。安倍首相も全力を挙げて支援すると仰っています」


十三時間の大手術

‐‐官房長官は内閣の大番頭であり、安倍首相の海外出張時などには首相臨時代理の第一位ともなる要職です。昨秋以来、約半年間にわたって、病気で長期療養しましたが、政権の危機に登板するにあたって、体調は万全なのですか。

「私の病気については、この機会に正確にお話ししておいたほうが良いと思います。昨年十月、のどの奥の食道に最も近い部分、下咽頭に腫瘍が発見されました。第三次小泉改造内閣で金融兼経済財政担当相を務め上げ、退任して安倍新内閣が発足した直後のことです。すぐに東京・築地の国立がんセンター中央病院に入院し、腫瘍の摘出手術を受けました。十三時間に及ぶ大手術だったと後から聞きました。腫瘍を完全に取り切り、そこに腕から取った皮膚と神経と血管を移植して新しいのどを創る。さらに腕には脚から同様に移植するという極めて難しい手術を受けたんです。がんセンターの垣添忠生総長(当時)には『うちの腕利きのスタッフが担当した手術だから、間違いないです』と手術は完璧に成功したと太鼓判を押していただきました。手術だけで抗がん剤の投与や放射線治療は受けていません。私のような症例にはあまり使わない、あるいは使っても効果が小さいということではなかったかと思います。声帯とは離れた部分を手術したので、声帯自体には全く傷は付いていないのですが、官房長官会見をお聞きになればわかるように、ややしゃがれ声になってしまった。このハスキーボイスでは、カラオケはもう歌えないなって(笑)」

‐‐それだけの大手術には、万一の場合の覚悟も必要だったのでは。

「日本人というのは、手術をするとき、患者と家族はなるべく安全な方法を選ぶものなんですよ。けれども、私は執刀医の先生に『決してそういう考えは取らないでください』と申し上げました。『あなたがベストだと判断するのなら、多少は危険が伴ったとしても、最善の手術をしてください。私はリスクをとることは全然恐れていませんから』と。私としては、この手術は賭けに出ていたわけです。中途半端な治療をしてしまった結果、病が再発するというようなことは本意ではなかった。病気になってしまったんだから、治すのなら徹底的に治すということを優先しました。安全サイドで物事を考え、結局、治らないのが最悪だと思っていましたから。一点、良かったことは、手術の最中も術後、ベッドでひたすら寝ている期間も痛みを一切感じなかったことです。痛みというのは本人しか分からないものですが、痛みに対する医学の理解はものすごく進んでいる。その点では、昔の人とはずいぶん違うと思います。痛い痛いってうなりながら手術を受けるというんじゃないですから、ありがたかったですね」

‐‐およそ三ヶ月間の入院生活。病床ではどんなことを考えていましたか。

「そうですね。私には、七転び八起きのDNAが受け継がれているのかもしれないと思うんです。祖父の歌人・与謝野鉄幹は総選挙に出馬して落選しているし、外交官だった父も反枢軸を主張したため冷や飯を食った。そして私自身も激戦区である東京一区で三度も落選している。だから今回の入院もその七転び八起きの一局面に過ぎないと、比較的冷静に受け止めていましたね。あえて政界の日常の出来事からは距離を置いて、自らの政治人生の原点をじっくりと見つめ直すよい機会だと考えるようにしました。あと、これはいかにも私らしいと笑われるんですが、ベッドの上でつらつらと年金問題への処方箋に思いを巡らしていました。いわゆる『消えた年金記録』問題が国民の怒りに火をつける直前のことですね。私はこの問題を考える上でのポイントは、ガン同様、国民への『告知』が何より大切なんだと思うんです。日本の社会福祉制度が曲がり角に来ていることを国民にきちんと伝え、理解してもらう努力をしなければいけない。問題の本質を避けて、怪しげな民間療法に頼るのが一番危ないんですね」


官邸に伝えられた病状

‐‐政治活動に本格復帰されたのは今年の四月でした。術後のリハビリにそれだけ時間がかかったということですか。


「手術した後、食べ物がのどを通って下に落ちていく穴を開けるんです。のどに穴を開けて、それを少しずつ広げていくわけです。この開け方がちょっと穴の大きさを絞りすぎていて、担当医がその問題を認識するのに少し時間がかかった。のどの穴を広げるのは手術じゃなく、ゴリゴリと物理的に広げるような作業なものだから時間がかかったんです。ひとの縁は不思議なもので、実はこの担当医は私が金融兼経財相の時に政務官として仕えてくれた自民党の後藤田正純衆議院議員の実のお兄さんだったんです。後藤田正晴先生の長兄の御子息ですね。

手術の後、食事が取れない期間がひと月半、ありました。それで体重が落ちちゃったわけですよ。大学を卒業したときの体重が五十三キロだったんだけど、ちょうどそこまで落ちてしまった。だから術後はリハビリというより、課題はひたすら『食べる』ということでした。このままではいけないっていうので、バターと生クリームとステーキともう成人病になりそうなものばっかり食べて、六十一キロまで回復しました。だけど、これ以上食べると今度は本当に成人病の心配をしなくてはいけないっていうので、もうこれ以上はだめだなと(笑)。

スーツやワイシャツなども政治活動再開が見えてきた時点で新調しました。リハビリといえば、体力増強のために女房と二人でよく散歩しましたね。久しぶりに夫婦水入らずで、最初は東京・六本木の自宅の周辺、そのうち距離がどんどん延びて、最後は上野の美術館あたりまで歩いたりしていました。後藤田先生によると、のどに移植したといっても、もとは腕の皮膚だったのでそのうち毛が生えてくるんだそうです。私は毛が薄いほうなので剃らなくてもいいらしいけど、どうしても垢がたまるんだという。今度、診察のときにはブラシをかけましょうかって笑われています。ですから、日常生活の上で不安は全くないのです。ただ、のどの本来の粘膜の代わりに皮膚を移植していますから、きれいにスッスッと食べ物がのどを通らないことはあって、皆さんよりゆっくり食べなければいけないという問題はあります。量はたくさん食べますけれども。

何しろ、ゴルフのドライバーを飛ばすのに使っていた腕の部分が突然、のどに移植されて食べ物を飲み込む機能を果たせって命令されているわけですから。そう簡単な話ではなかったようです。
首相官邸でも、私を官房長官に任命する前に健康状態について確たる根拠を当然、必要としたと思います。そこで、私は事前に官邸のほうに、自分の担当医のリストを提出するから、直接、医師団に事情を聞いてほしいと申し上げた。逆に医師団には『官邸からの照会には事実に基づいて、率直に正確なことを伝えてほしい』とお願いした。個人情報の開示を認めたわけです。これが本当の『身体検査』ですね。

ですから、官邸サイドでは私の健康状態について確証をもって任命されたと思います。何より、私自身が一番自分の体を心配していますから、今でも月に一回は診察を受けに通院している。もう何も心配いらないといわれていますけどね。ゴルフも麻雀もやっていますし、ドライバーは二百二十ヤード飛ばしますよ」

‐‐昨秋の安倍新内閣の組閣時も官房長官など閣僚候補として名前が挙がりました。もしあの時入閣していたら…。

「入閣していたとしても、結局は病気のためにすぐに辞任せざるを得なかったと思いますよ。『人間万事塞翁が馬』って言葉があるけど、巡り合わせはちょうど『脾肉の嘆』をかこっているときに病院にいたってことですね。経財相の時も今回も政務秘書官を務めてくれている経済産業省の嶋田隆さんが当時、見舞いに来てくれたときに二人で話したのを覚えているけど、『入院と入閣では、ずいぶん違うなあ』なんてね」

‐‐療養、充電の間に「政治の表舞台に復帰したらこれだけはやりたい」と心に秘めていたテーマは何ですか。

「『美しい国、日本』というキャッチフレーズを安倍首相が使っておられるんですが、『美しい国』というのを最初に使ったのは誰かというと、二〇〇三年九月の衆院選で、落選中だった与謝野馨が掲げたマニフェストのタイトルに『豊かな日本、安心な日本、美しい日本』って書いてあるんですよね。もちろん、だから元祖だ、なんて言うつもりはありませんよ。そもそも、『美しい国』からすぐに何かの概念が導かれるんじゃなくて、いろんな概念を統括する言葉として『美しい国』があるんで、元々言葉自体に中身はないわけですよ。『美しい国』という表題のもとに何をやるかということが大事です。そう考えた時、私の一番の恐怖は日本が貧しくなることなんですね。豊かな国を子や孫の世代にも残したい。これは単にお金だけの話ではなく、自然環境、社会の雰囲気、文化的な環境とかあらゆる面での豊かさを持った社会を残してあげたい。
じゃあそのために政治は何ができるのかとなると、一つは世界的にも例を見ないほど赤字が累積した財政を再建し、健全な家計を持った国と社会を後の世代に引き継いでいくことなんですね。これは相当時間はかかるが、必ずやってのけなくてはいけない。もう一つはやはり、日本人が創り出す芸術であれ、サービスであれ、国際水準をクリアする優秀さを持たなくてはいけない。ヤンキースの松井秀喜選手がホームランを打つとか、日本人のファッションデザイナーがパリで結構売れているとかそういう側面も大事で、実に嬉しいものです。しかし、基本的には日本の経済力が国際的に見ても優れている、という環境のもとで二十一世紀を素晴らしい時代にしていかなくてはいけない。競争力の向上に取り組むことが肝要です。三番目に平和で豊かな世の中にしていくには、いい対外関係を築かなければいけない。日本は今現在、戦争の危機にあるわけではないが、長く平和を維持するためには良好な近隣関係、世界全体を見渡した時に、日本人はやるべきことをやり、きちんと貢献しているな、という国際評価が求められる。 日本人がこの世界で気持ちよく生きていくにはこれらが必要だと思いますね。

ですから、特に経済政策に関しては、財政再建と競争力の強化。この二つをいわば『車の両輪』と位置づけて取り組むというのが政治家としての使命であり、ライフワークだと自負しています。病気を経験する前も、後も、この点だけは変わりません」


財政再建か? 成長重視か?

‐‐消費税の引き上げも含め、財政再建から逃げないという持論の長官と、経済成長重視の安倍首相とでは微妙な路線のズレがあるのではありませんか。

「それは全く違うんです。その二つはあくまで『車の両輪』なんですよ。今、安倍政権が取っている経済財政政策の基本方針は、自慢するわけではありませんが、昨年七月、私が経財相のときにまとめた『経済財政運営と構造改革に関する基本方針』(骨太の方針二〇〇六)の路線そのものを走っているわけです。『骨太〇六』は小泉純一郎前首相が最後に残した次期政権への書き置きです。当時の安倍官房長官も政府・与党の合意づくりに加わり、重要な役割を果たされました。安倍政権下で編成した今の〇七年度予算も、次の〇八年度予算の概算要求基準(シーリング)も『骨太〇六』に完全に従った内容なのです。

『骨太〇六』は具体的には、〇七年度から五年間で最大十四兆三千億円の歳出削減を断行し、二〇一一年度には国と地方を合わせたプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化する財政健全化目標を掲げています。さらに二〇一〇年代半ばに向け、債務残高の対GDP(国内総生産)比の安定的な引き下げや、社会保障の安定財源確保などをにらんだ抜本的な税制改革の基本原則も掲げました。これら歳出歳入一体改革のフレームワークに加えて、生産性や競争力の向上を狙う新経済成長戦略も盛り込んでるある。安倍首相も新経済成長戦略を強調していますよね。我々は昨年から、財政再建と成長戦略と言う二本のレールの上を走り続けているわけで、この二本は切り離せないと確信しています。
私が一九九七年、当時の橋本内閣の梶山静六官房長官の下、官房副長官として取り組んだ財政構造改革は歳出削減オンリーによる財政再建の試みでした。当時は経済成長との関連を一切、考慮していませんでした。今になってみると、やはり経済成長と財政再建はお互いに影響しあうものなので、『車の両輪』というのは極めて正確な表現なんですね。

成長重視のバリエーションでいわゆる『上げ潮政策』はそういう気持ちで皆取り組まなくてはいけないのですが、その結果が幻想であってはいけませんよね。可能な限り、現実に近いものでなくてはいけないと思っているわけです」

‐‐与謝野長官には「官僚人脈が豊富で霞ヶ関に近い」などといった評が良くも悪くもつきまとっています。これも官僚に厳しい安倍首相の姿勢とは距離があるのではないですか。

「私が向こうに近いのか、向こうがこっちに近いのか、議論の分かれるところですが。私は政治家と官僚をつなぐものはたった一つしかないだろうと思っています。つまり『理屈と理論』ですね。

政治家が権力を持って官僚を押しつぶしてもいけないし、官僚が策略を弄して政治家を動かすのもいけない。本当に理屈同士のぶつかり合いの中から良いものが生まれてくるというのが、私が官僚と付き合う時の基本原則です。

日本の官僚組織は国際的に比較しても、私的な利害を追及しないと言う点ではまだまだ超一級だと思います。政治家は私的感情を一切持たず、『公』と言うことを常に考えながら官僚とも協調していくことが大事でしょう。『官僚寄り』と言うのは官僚に操られるとか、官僚の意のままに動いてしまうとか、すべて官僚頼みっていう悪いイメージですけども、もっと官僚の良いところを 積極的に活用するといういい意味で捉えなければいけない。彼らも日本の将来のために貢献したいと思っている大事なグループなんで、事務を担当する官僚をうまく働かせるのが政治の役目です。政治が事務化してしまってはセクショナリズムを助長するだけだし、政治が実力不足だと、官僚を攻撃しているつもりが、逆襲されることになりかねない。官僚は叩くものではなく、政治が使いこなすものですよ。


官邸の役割とは


‐‐改造前の安倍官邸は「少年官邸団」とまで揶揄され、調整力不足が指摘されました。官邸機能の建て直しにどう取り組みますか。

「そんな難しいことじゃありません。政府の仕事っていうのは本来、内閣を構成し、それぞれ固有の権限を持っている各省大臣が各省の各部局をきちんと掌握して進めれば、間に合うんですよ。ただ、国際化の時代、あるいは新しい社会が進んでくると、縦割りの各省だけでは対応しきれない省庁間の問題が出てくる。そうなると官邸の出番です。省庁間の争いが激化したり、調整がつかなくなった時に、国益に照らしてこう進むべきだと決めてあげるのが官邸の一義的な役割だと思います。

例えば国際関係でいうと、世界貿易機関(WTO)の通商交渉があります。鉱工業品から農産物まで自由化の対象は幅広く、外務、経済産業、農水の各省が言っていることが違って、交渉方針が決められないとか、物事が進まないときは最終的には首相官邸の出番であり、首相の決断ということも必要になる。

ただ、官邸主導の流れが強まってきたからといって、やたらと官邸に会議を作って政策課題に取り組むのがいいのかどうかは別問題かもしれません。最初は会議を作ると首相が先頭でやってくれると思って皆期待するんですが、あんまり作りすぎると、首相も連日、あらゆる会議に出なくてはいけなくなり、辛くなると 思いますよ。会議もいいですが、まずはそれぞれ行政権限を持っている閣僚が自分の分野を頑張ること。内閣はそこから始まるんですよ」



‐‐参院の与野党逆転で政策決定は小泉前政権以来の「官邸主導」から、「与野党協議」に主導権が移るとの見方が出ていますね。

「政府が政策を法律案や予算案などの議案の形にして国会に提出するときには、各大臣と霞ヶ関の官僚機構の全知全能を集め、最終的には安倍首相のリーダーシップの下で集約した『正論』に基づく案で物事をまずお願いするのが正しい道だと思います。

その後、国民の代表たる国会議員が集まって、その議案をどうすべきかを判断していくわけです。与野党協議ということにもなります。その際は無味乾燥な理屈だけでなく、いろんな事情に配慮したり、政治判断も加味するでしょう。実現可能性も当然、考える。

ただ、政府の最初の構えとしては、まず正論で行く姿勢が大事です。最初から与野党協議の落としどころとか、いろいろなことに配慮しすぎて、何をやっているか分からなくなっては困る。正論は正論として政府がきちんとした姿勢を持ち、正論に基づく政府案をきちんと国会にお届けする。そこから先は与野党協議にゆだねる。そういう姿勢が大事だと思う。その後、議決機関たる国会がどうするかは国会の意思ですから、政府としては仕方がない。ただ、国会に議案は出ていった後は、 政府としてもあまり硬直的な姿勢をとらないことも大事でしょう。七月の参院選で与党が過半数割れに追い込まれた結果、衆参両院の多数派がねじれた、与野党ともに全く経験したことのない新しい状況が生まれました。こうした中で、国会対応がどうあるべきかっていうのは、これはまだ誰も体験したことがない世界なんですよね。

いきなり包括的な与野党協議、ではないのではないでしょうか。国会が本格化し、具体的な法案が出てきた時に当該委員会の与野党理事間で修正協議をやるとか、国対委員長や政調会長レベル、あるいは幹事長同士で話し合うとか、様々な段階を経ていくでしょう。今から与野党協議と力んでみても抽象的過ぎる。具体的な議案が出てきて、一つ一つ具体的な解決を積み重ねていく。そのうちにすこしずつ新しい国会の姿が見えてくるのではないか。政治とはあくまでも具体的なものなのですよ」


日本は心優しき社会


‐‐官房長官就任後、「温かい改革」と強調しています。これは小泉政権の構造改革路線を軌道修正するものではないですか。

「改革路線そのものは正しかったと思います。バブル経済崩壊から脱出するためには不良債権問題の解決が喫緊の課題であり、世界の経済成長の中に日本経済を組み込んでいく必要があった。しかし、その弊害として、市場原理主義は素晴らしいもので、勝者と敗者が出るのは当たり前だ、所得格差が生じるのはしょうがない、という輸入ものの考え方がはびこったわけですよ。経済学説的には新古典派と言う人たちだろうと思うけれども。

じゃあそれが欧米で主流かと言うと、全然そんなことはない。市場原理主義なんて、実態経済を知らず頭で物を考えている一部の人たちの世界に過ぎません。米国だって格差問題には対応しており、様々な具体的政策も打ち出しています。

そうした流れの中で、なんでこんなとげとげしい社会を創るのかという深層心理が日本国民の間に広まったと思うんですよ。今こそ、それは違うってことを政治がきちんと言わなければいけない。やはり日本は心優しき社会を昔からずっと創ってきたんだろうと思うんですよね。次の世代にいい社会を残すためには改革を進める必要がある。ただし、それは『車の片輪』に過ぎないんです。改革の過程で温かい気持ちとか、心優しさとかを持っていないと、傷つく人もいっぱい出てくる。改革によってもたらされる 成長の『果実』を、いかに分配するかが大切なんですね」


‐‐小泉政権時代、竹中平蔵元総務相と経済政策を巡り対立していましたね。

「そうでしたかね。竹中さんは優秀な学者ですからね。いずれにしても、参院選の反省にたって、特に地域経済に眼を向けて、税制、経済政策を含めて、もう一度立ち止まって考える必要があります。それから雇用に眼を向けると、非正規雇用が増えている。現実にはなかなか難しいのだけれども、理想の姿としては、私は同一労働同一賃金を頭の中で描いているわけですよ。現実をそれに少しでも近づけなければいけない。あるいは社会保障制度のセーフティネットから見放されている人たちがないように注意深くやっていく。中小企業や商店街の問題、年金受給者の抱える問題、そういうところに気を使いながらやっていくのが日本社会ですよ。それが私の考える『温かい改革』です。

失業者が出たほうが労働力の調整と最適配分ができるという考え方は欧米にある経済学の一理論だけど、日本社会にはなじみの薄い概念ではないでしょうか。五千万人を超える給与所得者と、給与所得者を卒業した人たち、また家庭内労働に勤しんできた主婦の方々をどう考えていくのか。この人たちが幸福になれるような社会を創っていかなくてはいけない。これは政治がメインに考えるべきことだと思っています。私は大学を出てから日本原子力発電という会社に勤めてサラリーマン やってましたから、それは実感として分かります。何でも市場原理で、というのは乱暴すぎます」


‐‐安倍官邸と朝日新聞をはじめとする一部メディアとは、かなり険悪な関係になりました。内閣のスポークスマンとして、メディアとの望ましい関係についてはどう 考えますか。

「まず、メディアには事実を正確に伝えていただきたい。ただし、その事実にどう論評を加えるかは、それぞれメディアの責任でやっていただく。それに対しては、我々が何を言ったってどうしようもないことですから。どう解釈し、論評するかはメディアによって色合いも違うし、ご自由にやっていただいたほうが社会の進歩のためになりますよ。気に入らないことを書かれたからと いって、いちいちヒステリックに反応する必要なんて全くない。メディア受けっていうのは一日は受けるけども、一週間は続かないんですよ。だから、安倍改造内閣は地道に仕事をして、少しずつ世論の評価を回復していく以外進むべき道はありません。人気取りのために安易に世論に迎合したり、近視眼的なムードに流されてはいけません。支持率上昇にマジックはないんです。テレビカメラの前でこう振舞ったらいいとか、こんなネクタイを締めたらいいとか、そういう端々のことや、下心がみえみえのパフォーマンスは厳に慎むべきだと思っています」

文藝春秋 十月号(平成十九年九月十日)
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