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経歴

2015年11月19日

私の歩んで来た道(6)

「千ヶ滝」の冬は寒い。家にはダルマと多分言われるストーブがあって、長い煙突で外に煙を出していた。
夜は炬燵(木炭)に4つの方向から足を突っ込んで寒さを凌いでいた。
今日の冷蔵庫などはなかったが、庭の隣りの家との段差の所に穴を掘って食料の貯蔵庫にしていました。
学校の隣りに大きな小屋があって、冬の間に氷を切りだして、もみ殻の中にためておく倉庫がありました。
8月15日は良く晴れた日で、大事な放送がある。家にはラジオはない、隣の隣の家の前にラジオが置かれ、近所の人が皆集まりました。私も母に連れられてそこに行きましたが、ラジオを囲むように皆キチンと立って耳を澄ましていました。
天皇の御言葉を聞いて、要は戦争に敗れ、戦争は終わりを告げたのだと、大人は多分判っていたのでしょう。
皆泣いていました。私も訳もわからず悲しくなって、涙がこぼれました。
夏休みが終わって学校に行くと、何事も変わった様子はありませんでした。母が「これから日本はスイスの様な国になるのよ」と言ったことはよく覚えています。
学校では古い教科書が回収され、新聞紙2枚位の紙を渡され、家に帰ってお母さんに綴じてもらいなさいと言われ、粗末な紙を家に持ち帰りました。

戦争が終わっても父はなかなか欧州から帰って来ませんでした。
父が帰って来たのは、昭和21年の初めで、お土産に持って帰ったお菓子の美味しかったこと、こんなに素晴らしいものがあるんだと大喜びしたことがありました。
父はベルリンを逃れ、スイスのベルンで戦争の終わるのを待ち、その後交換船で日本に引き揚げて来たのです。
父の帰国とともに、私達は東京に戻りました。
家は焼け残っていましたが、周りは全て瓦礫の山でした。
昭和21年4月、私は区立麻布小学校2年生に入り、新たな学校生活が始まったのです。

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