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ニュースの巨人」     TBS    平成26年8月27日(水)24:41〜


は語る(最新更新分) 

2014年8月19日(火)

公共事業と聞けば悪いものと、たくさんの政治家や識者が唱えていました。

この10日間続いた雨を見て、またそれがもたらした被害を見ると「治山治水は政治の基」という古い言葉を思い出す。

自然に立ち向かって戦うのは容易ではない。でもせめて判り切った事はやる必要がある。典型的な例がダム建設だ。

【ダムは水害の危険性を低くし、大事な水をため、発電をする。】

反ダムが正義の味方のように言っていた人たちは何処に行ってしまったのか。

公共事業も色々な種類の物が有るが、やはり国民の生命財産を守ることが優先されるべきであり、よく言われた政治家の公共事業介入などは薄汚いものである。

そういう意味で一寸古臭いが「治山治水」の言葉が意味を持ってくる。治山も治水もお金がかかる。これに苦情を言う人は、災害は忘れた頃にやってくるという言葉を思い出すべきだろう。


2014年8月18日(月)

8月15日の終戦の日、当日の事は良く覚えています。

私は疎開先の小学校1年生。我家にはラジオも無く、大事な放送が有ると言うので、母に連れられてラジオのある家の前へ行きました。ラジオなど持っている家は少なく、2〜30人が玄関先に出されたラジオを囲んでいました。暑い陽射しの日でした。

放送が始まり、多くの人が泣いていました。

戦争の意味も敗戦の意味も判らない年頃の人間にとって、その涙の意味が判るまでは、時間が掛かりました。

今でもこの戦争は誰の責任で始めたのか理解に苦しみます。310万人もの命を失ったあの戦争で、命を捧げた人の慰霊はどうしているのか。武道館という仮小屋でやっている戦没者追悼式の現状は情けないの言葉に尽きます。

命を失った人は夫々の宗教を信じていたとしたら、それにふさわしい無宗教の国の施設を作る。靖国問題で外交上ガタガタするのは国益にも反するし、祖国の幸せを唯一の価値として自らの命を捧げられた方々に対する礼であろう。無宗教施設が良いと思う。


2014年8月11日(月)

高校野球が甲子園でいよいよ始まると言う時、この大雨で開会が遅れてがっかりしている人も多いだろう。

文部大臣に任命された時の喜びの一つは、甲子園で始球式ができるということである。永田町でいくら働いても甲子園のあの一球には中々敵わない。

鳩山邦夫氏は404日間文部大臣を務め、私は405日間文部大臣を務めた。文字通り我に一日の長有りだと言うと邦夫氏はご機嫌斜めになる。

文部大臣として始球式でマウンドに立って見ると、捕手とアンパイヤ以外は目に入らない。自分としては良い球が行ったなと思っていたら、野球部の先輩である広岡知男さん(元朝日新聞社社長)がニコニコして来られて、「球がちゃんと捕手の所に届いたのは久しぶりだよ」と褒めて下さった。おまけにストライクである。多分球速も120km/h位は出ていたのではと自分勝手に思っていたら、そこに球場職員が来て「ナイスピッチングでした。今の球速は80km/hでした。」と言われた。自分では相当早い球を投げたつもりだけど、この有り様でプロの凄さを改めて知った。

私は恵まれていて、文部大臣として夏の甲子園、春の選抜、夏の甲子園と3回もマウンドに立てた。この記録だけは中々破られないだろう。

始球式を撮影した投球フォームの大きなパネル写真をあの名手稲尾氏が何と言ったか。「これは、ベストのフォームです。肘が落ちていないし、胸の張りもある。」他人が聞けば少し褒めすぎだとすぐ判るが、本人はもうすっかりその気になってしまった。


2014年8月8日(金)

記録的な暑さが続く。全国を見れば観測史上最大の雨も降っている。

雨が降ると言うのは誤解を与える。まるで天でバケツをひっくり返したような降り方で、農業は勿論、道路などのインフラにも相当の被害が出ているようだ。

長い目で見ると氷河期の問題がある。今は丁度氷期と氷期の合間の極めて穏やかな気候に恵まれている。

太陽の表面に黒点と言うものが有る。これは増えたり減ったりするものだが、大体11 年のサイクルで増減する。経験的には黒点と地球の気象の話はいつも話題になっているが、私はその科学的な理由は聞いたことはない。

何から何まで、地球温暖化のせいでという環境保護論者がおられるが、もっと複雑な要素で決まっている。

人間は自然の力には敵わない。
自然の前では謙虚な立ち居振る舞いが、大事なんだと思う。


2014年8月6日(水)

私は写真印刷用としてプリンターを色々と試してみているが、日本のプリンターはどれも優秀であると思う。

ある時、経団連の会長をしておられたキヤノンの御手洗会長に、
「何故プリンターのインクはあんなに高いのですか?逆に、本体は何故あんなに安いのですか?」
と陳情申し上げたら、会長の返事は
『メーカー、量販店が価格を叩き合って一台売る毎に赤字になる。それではやっていけないので、インクで何とか取り戻している』
と返ってきた。

日本は直ぐに過当競争になる。新製品が出れば、それを追いかけるようにして、外国でも同じような物を作る。価格を下げる競争だから、企業に対して利益にならない。でも、競争から脱落はできない。

エレベーターもそうだ。東京のあちこちに出来る超高層ビル。それは、目的のフロアーに1cm位の誤差で止まる。これもエレベーター会社は大儲けしている商売ではない。ボロボロの赤字だ。それを取り戻すのは、法律で定められている点検で、ここで儲けないとエレベーター商売は成り立たない。


2014年8月5日(火)

子供の頃、親戚の家に泊まりに行くと、蚊帳を吊ってくれ、蚊取り線香をたいてくれた。これが最高の贅沢というものだった。

私がクーラーに最初出会ったのは、映画館である。夏映画を見に行く時は、映画の他にクーラーのおまけが付いていた。私が映画を見ていたのは二流、三流館であったけど、どんな古臭い映画館も冷房設備が無ければお客さんを呼べなかった。大体、時代にすると私の中学1年〜2年頃である。

私は14歳から17歳までエジプトにいたが、この地の暑さも聞きしに勝るものである。大体、暑いのに働くのは良くないということで、昼を過ぎた時間帯はほとんどの店が「熱中閉店」になり、店の人たちは昼寝をたっぷりして体力を養っていたみたいだ。でも同じ温度でも乾燥しているかどうかで全く違っている。カイロの人たちで裕福な人の多くはかのクレオパトラがいたアレキサンドリアの海辺に行くのも慣わしとしているようだ。


2014年8月4日(月)

ある日、中曽根康弘先生をお尋ねしたら、本を一冊頂いた。

『与謝野君、この本をと、もう一冊本を持って戦場へ出かけたんだよ』
「そのもう一冊の本は何ですか。パスカルのパンセではないですか」とお尋ねすると、
『パンセではないよ、聖書だよ』と言うご返事。

そう言えば先生の母上は、敬虔なクリスチャンと伺っていたので聖書を選ばれたのかなと思い、それ以上は質問はしなかった。

ある日、読売新聞を訪ねて渡邊恒雄社主にお目に掛かってお話をする機会を得たので、
「渡邊さんも軍隊に取られたんでしょう」と伺うと、
『勿論だよ、中曽根さんは中佐だけど俺は上等兵で終わっている』
「何か楽しみはありました」
『うん、カントの純粋理性批判のドイツ語の原本を持って行って読んでいたよ』

死地に旅立つ二人、やはり物を考え、人生の真実を最後まで見付けようと努力したんだと思うと、我々の生きている時代のこの安穏さんとは全く違うものだ。


2014年8月1日(金)

東電の幹部4人について、検察審査会は起訴相当という結論を出した。従って、もう一度検察は業務上過失致死の責任を問えるか、問えないかを検討しなければならない。

大学を卒業して日本原子力発電鰍ニいう小さな会社へ入社し、英国型、米国型の原子力発電所の輸入、建設をやっていた人間からすると理解し難い判断である。

その頃の通産省、科学技術庁の原子力に関するレベルは低くて、民間が色々お手伝いしないと、ろくな原子力行政は出来なかった。

安全神話が崩れた等という見出しをみると笑ってしまう。原子力発電所は、人間が理性の極みとして作ったものであり、神のお手配によるものではない。

電力会社は、実によく通産省(現経産省)の言う事を聞き、国の出した安全基準を良く守り、まるで神の御言葉を聞くように従っていた。

問題は津波の高さが40〜50mに達するなど誰が考えたか。超一流の地質学者や、地震学者の意見を十分すぎるほど取り入れて作った発電所である。津波は神の仕業である。仮にそれが事前に判ったとしても、止める術はない種類の問題である。

東電の責任を議論するのは良い。しかし、この発電所の細部に亘る所まで審査し、許認可をした役所の責任はどうなっているのだろう。相変わらず、お上が間違えたのではないというのであれば、許認可の権限など役所に渡す必要はない。物事や技術を知らない人が、日本の原子力行政をやっていることに、私は恐ろしいものを感じるし、いざとなったら逃げだす官僚達を見ると本当に情けない。司法の事は司法でやったら良い。

官の責任は一体どうけじめをつけるのか、注視している。

今一番志気が落ちているのは、東電内部である。優秀な人が一人、また一人と辞めて行く現状を御存じなのだろうか。


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ロフィール 
プロフィール
  • 2013 旭日大綬章 授章
  • 2011 国務大臣
               (経済財政政策担当・少子化対策・男女共同参画担当)
               (社会保障・税一体改革担当)
  • 2010 たちあがれ日本共同代表
  • 2009 財務大臣 国務大臣(金融担当)
  • 2009 財務大臣 国務大臣(経済財政政策・金融担当)
  • 2008 国務大臣(経済財政政策担当)
  • 2008 国務大臣(経済財政政策・規制改革担当)
  • 2007 内閣官房長官
  • 2005 国務大臣(経済財政政策・金融担当)
  • 2004 自由民主党政務調査会長
  • 1998 通商産業大臣
  • 1996 内閣官房副長官
  • 1994 文部大臣
  • 1993 衆議院議院運営委員長
  • 1984 通商産業政務次官
  • 1976 衆議院に初当選
  • 1963 東大法卒 サラリーマンを経て
  • 1938 8月22日生まれ。港区立麻布小、麻布中・高卒

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