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政策

2016年1月7日

政策雑感(9)

政治改革について、この30年間に行われた政治改革に対する私の考えをお伝えしたいと思います。

  1. 議員の総定数について
    「議員も身を切る覚悟がないといけない」などという哲学が披露されることがありますが、議員定数を削減することがどんな政治改革につながるというのでしょう。 民主制の原点のアテネでは市民全員が参加する制度でした。これは限られた人口の場合のみ可能な制度で、すべての案件を国民投票にかけるということは不可能です。議員の数が多いとお金がかかってしょうがない、だから数を減らすという意見があります。そうであるならば、議員が受け取る諸々のお金を減らせば済むことのはずです。
    よりよく民意を反映させるという観点に立てば議員は多い方がよいということになると思います。あまり議員が多いと意見集約が効率的に行われないという考えは根拠がありますが、500を480にしたり、またそれをもう20減らすということは「民主制」という原点に立てばおかしい話です。
    もし議員は「特権階級」だという議論があれば、その特権の中身を明らかにして、それを取り上げるというのが正しい改革ではないでしょうか。
    例えば英国は人口ざっと6,000万人、議員はおおむね10万人に一人です。従って600人以上の下院議員がいます。思考実験をして議員をどんどん減らすとしましょう。その場合一人の議員がカバーしなければならない人口はどんどん大きくなり、民意の吸収はどんどん手薄になってゆきます。
    従って民意を吸収する為には議員が多い方がよい、しかし国会の中での意見集約には時間と手間がかかる。
    従って議員定数はどこかその中間点にあるもので、便宜的に決められているのです。
    議員の数を減らすということを言う人が、掛かる経費の事を考えているのであれば、その経費を減らせばよいということです。いかにも「自己犠牲」を払うような議員総定数の削減は「人気とり」以外のなにものでもない。民主制の観点から総定数は論じられるべきです。
  2. 議員の給料。年金について
    19世紀の英国で「職業としての政治家」という考えが生まれました。それは政治家になった人間が自分をはじめ家族を養えるだけの給料を貰えるようにしなければならない。「お金持ちの旦那衆」が「暇とお金」を裏付けに政治家になるというだけではなく 、お金の無い人も政治家をやった場合、それにふさわしい給料(収入)を受け取る。そのことによって無産階級の人も政治を志すことが出来る。そういう考え方です。どの所得階層に属していても政治家を目指すことができるという哲学です。議員の年金を日本では国でも地方でも大幅にカットしました。
    そのことは本当に正しいのでしょうか。私はお金の無い人が政治をやる。その人が政治の世界から引退したあともある程度の生活保障があるということにしないと、「いい人が政治に参加」という点からは、おおいに疑問が残ります。お金持ちだけが議員になるのでしょうか。
  3. 中選挙区制・小選挙区政
    私は小選挙区制に反対しておりました。その当時私が心配していたことが次々と明らかになってきたと思います。
    1. 少数意見が尊重されない。
      1. 私の選挙区でも、共産、公明その他の政党に投票したい有権者はたくさんいるのですが、その他の選挙区を含めて少数意見は切り捨てられています。自分の好きな政党に投票する。自分の好きな候補者に投票する。そのプロセスの中で有権者の政治的欲求は解消されていくのです。多少の当選可能性ということが政治的安定を生むと思っています。
    2. 党の独裁が始まる。小選挙区制のもとでは党(党の執行部)が公認、ポストの配分、選挙資金等を一手に持っているので、個人個人の議員は「物を言わぬがよい」という立場をとります。党内民主主義が失われるのです。
    3. 新人が出てこられない制度である。ここに志ある若者がいたとしても、選挙に出る為にはどこかの政党に属していなければならない。しかし政党には地域の大物がいて、新人などは顧みられない。昔は無所属で議員になった人はたくさんおられ夫々国会で立派な仕事をしておられました。今は政党のスクリーンを乗り越えられる人は少なくなってきたのではないでしょうか。
    4. 二大政党制のうそ。二大政党制は民主主義政治における模範的な姿だと論じられてきましたが、本当にそうでしょうか。政党が二つがよいということは、異なる二つの価値観しか認めないということと同じ意味です。国民の価値観が多様化している時、それに対応する政党がなければならず、それは二つであるというのはおかしなことであると思います。二大政党論者が見本にした英国と米国でも「第三の政党」が論じられています。「政権交代可能な二大政党」というスローガンは聞こえは良いのですが、国民の価値観を実現、反映する考え方ではないと思います。
  4. 定数配分についてこれは毎回裁判所の指摘を受け議論されますが、配分のルールはあらかじめ決めておく。
    誰かの恣意によってきめるのではなく、あらかじめ定められた「ルール」によって決めるということを採用しないと選挙の度ごとに無効だ、違憲だという議論が繰り返されるでしょう。
    地域を代表する参院はゆるやかな配分(県に最低は一人)ということは悪くないと思います。(参考になるかわかりませんが、米国ではアラスカ州人口20万人)、カリフォルニア州人口2,000万人)が同じ数の上院議員を出しています。大事なことはその都度どうするかということではなく、あらかじめ「ルール」を定めておくことです。 
  5. 政治資金について
    今議員は政治資金を集めるのに苦労しています。政党助成金制度は本当に正しいのでしょうか。ロッキード事件以来、何かある毎に政治資金規正法をきつくして来ました。もっと自由に政治資金を集められる、あるいは政治資金を供出出来るようにしないと、議員はお金のことばかり心配するということになりかねません。政治資金が名をかえた「ワイロ」であってはいけませんが(これは刑法で取り締まることができる)、企業団体献金は自由であるべきです。個人献金と企業献金とどちらが「癒着度」が高いかといえば、個人献金が「癒着度」が高く、企業献金は企業の規模が大きくなるに従って「癒着度」は低くなってゆきます。大、中の企業献金はもっとゆるやかにしないといけないと思います。個人献金が一番綺麗だという議論は多分間違っています。パーティー券で政治資金を賄う。
    これしか出来ないというのは異常なことであり、新人が出て来ることの大きなさまたげになっています。

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